レレとの出会いについて語っちゃう ーその3ー

さて、ウクレレからギターにスイッチして、マイ・ファースト・ウクレレ同様、マイ・ファースト・ギターも哀れな末路を辿ったが、中学3年のときに遂に憧れの「フォークギター」(*注1)を親から買ってもらい、特に「Fコードの挫折」(*注2)も経験せず、来る日も来る日もギターをじゃんじゃか弾く日々が始まったのでした。

 

折しもベンチャーズ、ビートルズ、グループサウンズ、とギターミュージック花盛りの頃(60年代中期ですね)に、顔面にニキビが花盛りだった思春期の僕は、ますますギターという楽器に愛着を深めていくのだった。エレキ・ギターも欲しかったけれど、当時エレキギターは「不良」が持つ楽器(*注3)という風評あって買ってもらえなかったけれどね。

 

その後、僕は鬱屈したギター青年時代を経て、それなりのギター遍歴を重ねつつ、それなりのギターおじさんとなるまで、長い間、ギターは僕の良き友達だった。で、それは良い友達だったのだけれど、友達以上の関係にはならなかった。(僕はウクレレを抱いて寝ることがあるが、ギターとはそういう関係にはならなかったということだ)

 

かつては「ロックこそが人生の価値観」(*注4)とうそぶき、気がつけばそれなりに「ロック」な人生(収入面その他安定せず、いつまでも「大人」になれないという側面が大きいですが)を送りつつ、しだいにメロウなおじさんになっていく自分を感じていた何年か前の夏のある日、僕のオクさんが「ウクレレをやってみたい」と言うんですね。

 

オクさんは当時フラダンスとか習い始めていて、その影響でハワイ・ミュージック(*注5)が好きになり、当然のなりゆきとしてウクレレに興味を持ったわけです。その昔、ウクレレ少年だった僕は、「じゃあ、楽器屋に見に行ってみようか」とオクさんと近所の楽器屋の「夏場だけウクレレ・コーナー」(*6)を訪問、ぶら下がっている各種ウクレレをポロポロ弾いたが、お値段がお手頃なのはそれなりの音で、ああいいな、と思う音色のウクレレはお値段もそれなりにするのだった。

 

で、安い新品を買うよりも程度の良い中古がいいんじゃない? ということになり、オクさんの要望を聞きつつ、1万円を上限としてヤフオク(*注7)を物色、で、一本のウクレレを落札したのだった。送料含めて1万円弱。送られてきたウクレレはなんとも昭和なチェックのソフトケースに入った地味だが性格の良さそうな可憐なウクレレだった。 思えばあれがすべての始まりだった……。

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*注1:当時の僕にはガットギター(クラシックギター)はダサいというのがあって、あくまでも「ピックガード」がついた「フォークギター」じゃなきゃ嫌だというのがあった。で、念願のフォークギターは「カスガ」というメーカーのモノ。サドル(弦が乗っかっている部分ね)の高さがネジで調節できるというところに惹かれたんだ。反ったネックのギターを弾いてきたトラウマがあったから、こと「弦高」にはうるさかったんだな。


*注2:ギターでFのコード(和音ね)を弾くとき、6本の弦を人差し指でまたぐように押さえつつ、他の指もそれぞれ所定の位置を押さえなければいけない。そういうのをバレーコード、とかセーハとか言うんだけど、これが辛くてギターに挫折する人が多いことから「Fコードの挫折」というわけ。ああ、ウクレレはこの点、「寛容」です。


*注3:当時はビートルズだって「不良の音楽」だったんだ。「三丁目の夕日」の時代は、今に比べて何もかも良かったように言う人がいるけど、そうでもなかったこともたくさんあります。


*注4:60年代後期から70年代にかけての「ロックの時代のピーク」に、とかくかぶれやすい若者であったことが要因。


*注5:「ハワイアン」じゃなくて「ハワイ・ミュージック」と呼んで欲しい、と言ったのは、日本のハワイ・ミュージックの代表的アーティスト、サンディーさん。それ、わかります。


*注6:ウクレレを「季節モノ楽器」として扱う楽器屋多し。こうした状況がある限り、僕はウクレレ地位向上のためにがんばりたい、という所存であります。


*注7:ヤフオクでさんざんウクレレを買いました。ウクレレにハマった人があれを閲覧するのは危険です。ウクレレ物欲が高じて気がつけば部屋中ウクレレだらけになります。でも、売ることもできるんで「使用上の注意」をわきまえた上で利用するのがよろし。

 

画像は、オクさんの(というより、結局、「僕の」になったが)、ん十年を経てウクレレに恋に落ちたきっかけになった「ナンシー」というブランド名のウクレレ。Nancyって名前がいいよね。